休日の貴重さ

歳を重ねる毎に、ということではないのかもしれないが、休日の価値を貴重と考えるようになってきた。それはつまり休日に充実もしくは何らかの成果をもとめる傾向が強くなったということであり、例えば今日のようにぐだぐだとしているうちに貴重な時間を浪費してしまいかくのごとく夜を迎えてしまったときには激しい自責の念に苛まれるわけである。
休日は「休む日」ではないと思う。おれは「自己を恢復する日」だと考えたい。
さ、寝るか。