路駐文化圏への黒船

大雨のなか、やんごとなき用事のために近所へ買い物に行く。車で行ったんだけど、家から駐車場までの道のりでスニーカーの中に浸水するほどの大雨である。すげえな。久しぶりに訪れたある店では、駐車場が有料化していた。なんとも世知辛い世の中である。
世知辛いと言えば、平成18年6月8日までに駐車違反取り締まりが民間委託されるらしい。平成18年て、今年やないの。
「名古屋は道路が広い」という認識は、ほぼ日本中に知られている事象であろう。おれも名古屋へ越してきたときはそれを実感した。やがてこちらで車を購入・所有するに至ったが、その広い道路が走りやすいかと問われると、いやそうではないなというのが正直な所感だ。
道路が広いのに、どうして走りにくいのか。それはこの街の路上駐車の多さによる。たとえば名古屋では片側3車線の道路はさして珍しくないが、このうち一番左側の車線は路駐車で塞がれていることが多く、したがって実質2車線と変わりない。また神戸や大阪の取り締まり事情に引き合いにだして話をするのだが、こちらの警察は、あきれるほど取り締まりが甘い(これは駐禁にかぎらない)。
「浮気は文化である」と公言したアホがいるらしいが、彼の表現を借りるとすれば、こちらの事情はこういうことができるだろう ―――名古屋人の路駐は、文化である―――と。それは以前に、名古屋ジモティの友だちに言われた次の台詞がこれを裏付ける。曰く、「なんで関西から来た人は、そんなに車を駐車場に入れたがるの?」。
このように路駐が生活の一部となっている都市で駐車違反の取り締まりが民間委託されると、どんなことが起こるのか。想像力に乏しいおれにはチンケなことしか思い浮かばないが、一つの想像として、古くから店をかまえるものの駐車場をもたないようなお店は集客力を失い、新興の、巨大な駐車場をもつモール型店舗に客が一極集中する―――そんなシナリオが考えられないか。
改正道交法の施行まであと4ヶ月。施行に向けて街の駐車場インフラが改善される様子は(おれのフシアナ眼で探る限りは)見あたらない。どうなることやら。

―――と、帰途に信号待ちをしている間、フロントガラスを流れる雨滴を眺めながら考えを巡らせていた。相変わらず腰が痛い、そんな日曜日。