「囚われのチベットの少女」

囚われのチベットの少女

囚われのチベットの少女

ダライラマ万歳」「チベットは自由の国だ」「中国人はチベットから出て行け」
最前列の観客は急にしりぞいた。そして他の観客は突然の人騒がせな見せ物に気づき、拳をあげて「自由!」「独立!」と叫んだ。ただ独りズボンをはいて、縁の広い帽子をかぶった尼僧はまだほんの子どもだが、十人分叫んだ。ガワン・サンドルだった。

この事件をきっかけとして11歳で捕らえられ、2001年(執筆時)当時23歳(2008年現在は30歳)の今も獄中にあり、2014年まで釈放されることのない少女、ガワンサンドル。逮捕後に彼女に与えられる拷問の描写は凄惨をきわめる。しかしそれよりも心が痛むのは、つぎの記述だ。

ほとんどの同胞チベット人と同じように、三人の姉妹はダライラマの亡命先ダラムサラに関して美化されたイメージを持っていた。(略)そしてチベットの危機に西洋が立ちはだかり、支援の手を差し延べると夢想していた。
この力強く一つに団結した西洋という神話は、不健全な誤解と、民主主義の概念の自分勝手な解釈から生まれており、チベットの悲劇の中の最悪なものの一つである。(略)西洋の政府はどんな政府であれ、中国に怖じけている。ひとにぎりの少女が拷問されたところで、十億人の潜在的なマーケットの気持ちを害したりはしない。憤慨するのは、ただ少数の勇気ある者だけだ。
(略)彼らが自分たちの不幸を語る相手は、チベットの支持者であるこの西欧なのだ。その結果集められた情報は、今では円滑に機能するようになった手段で、世界中に発信されるが、それは限られた一部の人にしか届かない。各国の政府は無関心だし、中国人はなおさらだ

資本主義は、時として盲目だ。21世紀を迎えて未だに人権を持たない人がたくさんいて、彼らの声はマーケット至上の風の中にかき消されてしまってるんだ、チベットに然り、スーダンに然り。これは恥ずべきことだと思う。
しかしながら、ダライラマは巻末のインタビューで、次のように話している。

一人ひとりのレベルで考えると、目的達成は難しく思えます。しかしひとりの活動が何の影響力もなく、価値がないというのは間違っています。

“世界の屋根”にすむ人々の声が、ようやく私たちにも届くようになった。真実を歪めて伝えようとする人たちの言葉に惑わされないようにしながら、彼らの言葉に耳を傾け続けること、これが非力な我々にできるもっとも小さな正義なんじゃないかな。

追記

この本の主題は、ちょうど次のブログのエントリに一致するものだ。

特に僧尼に対する苛烈な拷問の詳細と、それを仏教への帰依を支柱として堪え忍び、ダラムサラに亡命を果たした僧尼の次の証言は、絶対に一度は読んでおかなければならないと思う。