「エンタの神様」は壮大な社会実験をやっている

普段テレビを見ることのない生活だが、盆休みに時差に煩わされることなくオリンピック競技が見られるとなるとやはりテレビが近くなる。
五輪中継の狭間に、ひさびさに「エンタの神様」を観た。波田陽区ギター侍のネタをやっていた*1ころ以来なので、2年ぶりぐらいだろうかな。思いがけず久しぶりに観てしまったこの番組について考えたことが本稿の標題だ。
日本テレビは壮大な社会実験をやっているのではないだろうか、という。
実験内容は何か。
学ラン着ている人に然り、ホスト風の二人組に然り、エンタの舞台にたつ人はふつうの一般人、もしくは俳優である。彼らが定められた台詞を話す。台詞の段落が改まるところで編集者は壮大な拍手と笑い声を挿入する。短いインターバルで出演者を交代させながらこのルーチンを繰り返す。
ではこの実験の目的とは何か。
それは「笑い声だけでコメディが成立するか」ということの検証であろう。ドリフ大爆笑Mr.Beanを例に挙げるまでもなく、古今東西をとわず笑い屋たちによる笑い声はコメディに一定の効果をもたらすものだが、彼らはあくまで「従」の立場であった。彼らの声が「主」となるようなコメディは存在しうるのか、存在するとすればそれはどのような形態なのか。この命題に対する解を模索する活動を日本テレビは行っているのではないだろうか。
最後に、この実験の成果について考えてみたい。
もしこの実験が成功すれば日本テレビにどのような利益がもたらされるのか。それは「芸人・芸能人レスのバラエティ番組」という究極の低コスト体制の達成ではないだろうか(Reduce)。番組の優劣を決めるのは笑い声の質ということになろうが、その笑い声ですら再利用(Reuse)による省資源化が当番組において試みられている。さらに芸人や芸能人の登場しない番組であれば番組の再利用に際する肖像権の問題がクリアになることが見込まれ、番組そのものの再利用性も高まるのである(Recycle)。以上でReduce, Reuse, Recycleの3Rを達成し、環境先進企業の名を獲得するのである。
まあせいぜい頑張ってくれ。

*1:ひょっとして今もやってる?