無駄のある人生を

先の土曜日の話。
学生のときに所属した部活動団体が今年で創立20周年を迎え、それを記念してパーティをやるというので、夕方に西宮へ向かう。
部活を引退してはや10年。参加者の多くが年下なのだ。思えば遠くへ来たもんだと思う。
創部より20年のあいだ、常にボランティアでコーチをしてくださっている、Yさんという方がいる。かつてはヨットのナショナルチームの監督をされ、65を数える今でも“道楽で”種々の協会を兼任される猛将である。
Yさんが開会の挨拶で言うことには

○大学のOBは近隣の私立大とは異なり、全国に広く遍在する。本日は後輩の呼びかけに対して遠路はるばる、これだけのOBが集まったわけだ。

伏字には私の出身大学名が入ります。この日はほんの2時間のパーティのために名古屋、東京などから少なからざるOBが集まったのである。続き・・・

○大学のOBは競技だけではなく実社会でも優秀なものが多い。だから全国に遍くあるのだ。遠路はるばるこの西宮に集まるというのは、金もかかっただろうし時間もかかったろう。ここに集まりの先輩たちは、金にも時間にもある程度の余裕があるということなのだ。
ワシは○大学のOBたちには、やれ仕事が忙しくて参加できないとか、子育てが忙しいとか、そういうような余裕のない生活を営んでもらいたくないと思っている。仕事や育児もこなしながら、常に余裕を、いわば無駄な時間を楽しむような人生を送ってもらいたいと考えている。
ワシは道楽のかたわらにも8人の子供を育て上げ、○大学ほどの優秀な学校ではないにせよ、全員をそこそこ名の通る大学に入学させた。ワシのように無駄の多い人生を送ってくれ。

こんな内容だった。
荒々しい中にもYさんの愛が伺われる名スピーチだと思う。
学生時代には授業をサボっていつも共に海に入り浸っていたチームメイトたちは、今や社会で着々と力を養いつつあることを確認した。
とても慌しい小旅行だったけど、かなり元気をもらった。