野球ファンであることを強要する社会

ここ最近街のどこを歩くにつけても、あの品のない応援歌を聴くことを強要される。もう終わった話やからええやないのなんで今更「応援」歌なのかええ加減はやく落ち着けよ、と虚空に向かってツッコミを入れる日々。いや、優勝日本一セールをやるのは結構、勝手にやってくれ、と思うけど、この、名古屋に住んでいるということを正当性の拠として客に一つの価値観を押しつける傲慢さは何なんだろう、と思う。
そもそも今、本当にみんながみんな 野球ファンなのか。自分が小学生の頃はスポーツという言葉は野球の代名詞のようなもので、試合の翌日にクラスが前日の勝敗に沸き返るようなことはあった。でもいま自分の周りに野球、とりわけ「プロ野球」を好きで見ているという人は確実に減っている。
ここ数年の局所的な好景気で、東海地方に多くの人員が流入しているというような話を聞く。それを単純に捉えれば、この地方における地元ファンの割合が小さくなりつつあるということだ。特定球団のファンであることが強要される社会は、そう長くは続くまい。